将軍珈琲SHOGUN-COFFEE

ミルクとよく合う
フランス風
深煎り将軍珈琲。

江戸幕末のフランス風コーヒー。インドネシア産スマトラコーヒー豆の深煎り。ベルベッドのようなワインに似た、濃厚できめ細かな甘さを最後の一滴まで味わえます。たっぷりのミルクとの相性も抜群で、店舗では『将軍カフェオレ』としても大人気です。

将軍珈琲の特徴

焙煎:フレンチロースト
原産国:インドネシア、エチオピア

  • 香り8
  • 甘さ6
  • コク8
  • 酸味3
このコーヒーの適温は80℃ 〜 85℃

将軍珈琲の特徴

焙煎したコーヒー豆 焙煎したコーヒー豆

将軍珈琲の
誕生

徳川慶喜公の直系の曾孫、
4代目当主との出会い。

最後の将軍・徳川慶喜公は、水戸徳川家に生まれ、一橋徳川家をへて徳川宗家を相続し第15代征夷大将軍になられ幕末の大政奉還を受け入れ将軍職を辞職、謹慎、隠居された。のちに公爵受爵し、徳川宗家とは別に「徳川慶喜家」をたちあげる。その『徳川慶喜家』の4代目にあたる徳川慶朝(よしとも)さんは、もともとコーヒーに興味があり、東京都内の有名店に長年通いつめるコーヒーマニアでした。サザコーヒーの依頼で2000年のコーヒー文化学会で徳川慶朝さんが『徳川慶喜公もコーヒーを愛飲していた』と講演してくださって以降、意気投合しサザコーヒーにコーヒーの焙煎修行に来られる間柄になりました。

「将軍慶喜公ゆかりのコーヒー、
       わたしが焙煎したい。」

『将軍珈琲』の開発時、徳川慶朝さんは非常に積極的に焙煎担当を申し出てくださいました。慶朝さんは焙煎日に合わせて東京から茨城まで通勤され(後に茨城県ひたちなか市に移住)、焙煎に精進されました。サザの鈴木太郎といっしょに創意工夫を積み重ね、およそ10年にわたり焙煎の職人として、サザコーヒーで活躍なさりました。

幕末の文献を徹底調査。
将軍コーヒーを現代風に再現。

1867年に慶喜公が江戸幕府を代表し欧米公使と開港交渉の折フランス人料理人を雇い、欧米の公使をもてなしコーヒーも供しました。コーヒー豆の当時の世界の流通は「モカ・ジャワ」時代で、既にオランダが全盛期で60%を占めたため、旧オランダ領スマトラの「マンデリン」を、史実に基づき当時のフランス風に焙煎しました。ぜひご賞味ください。

徳川さんとは、偶然にサザコーヒー本店で出会いました。
2003年秋、「太郎さん、お客様で『徳川さん』が来られてます。」
おヒゲで凛々しく笑顔、赤いジャンパー姿で東京からホンダのレーサーバイクでやって来られた。父:鈴木誉志男の友人で徳川さんらしい。

そこで、どんな徳川さんなのか、?

当時の私は『おみやげ商品』とか『観光地商売』とか賑やかな商売にあこがれて、茨城県ひたちなか市(旧 水戸 徳川家領内 )に住んでいたので「水戸のおみやげ」といえば『納豆』と『水戸黄門』で、おみやげ商品に『水戸黄門・徳川光圀(天下の副将軍水戸光圀公)』を既に選んでいて、黒箱・徳川三つ葉葵マークの印ろうの中身がコーヒーという商品を真剣に考えていた。
マークを使うことはどなたにかお断りせねばならないと思っていた所に 徳川さんと名乗る方が来たので、興味深々でした。
『徳川さん、あなたの家のマークは(テレビの水戸黄門で「水戸光圀」をバックに「格さん」が見せる感じで)あれですか?』と聞いてみました。
「あ、そうです。」と徳川さんは答えたので、『マーク使っても良いですか?』と聞いてみたら「だめです。」って、 私ががっかりしていたら「私が焙煎したコーヒーを売りなさい」って、全くふつうじゃない会話だと思うのですが、これが出会いです。
徳川さんと日を改めて松戸の歴史館へ行く事になり、そこで斎藤洋一先生という最後の水戸藩主の徳川昭武(徳川第15代征夷大将軍徳川慶喜の同母実弟)の屋敷跡の戸定歴史館(とじょうれきしかん)の現館長に、徳川慶喜(徳川第15代将軍)が大政奉還の前に欧米の公使と「飲んだメニュー・コーヒー」の話をしてくれた。

徳川さんは徳川慶朝(よしとも)さんといい、お父さんのお名前は徳川慶光(よしみつ)公爵、おじいさんのお名前は徳川慶久(よしひさ)公爵、ひいおじいさんは徳川慶喜(よしのぶ)公爵、最後の征夷大将軍だったことがわかった。何か条件が違って、そのまま江戸時代ならば、徳川さんは18代の征夷大将軍の可能性を想像できた。
それと、徳川さんはおもしろそうなので徳川さんと商品開発をはじめた。
もちろん斎藤洋一先生がついているので、フランス料理でフランス人のフレンチロースト、オランダの植民地だったインドネシアは当時世界最大のアラビカコーヒー産地。

当時のフレンチロースト焙煎は「炭焼き焙煎」さらに「コークス焙煎」って可能性もあり、炭焼きを熱源とするコーヒー焙煎機にたくさんコークスを入れて徳川さんと焙煎してみた。コークスをいれた鋳造鉄でできた焙煎機の側面が 赤く光り焙煎機がうなるような焙煎でインドネシアの「マンデリン」から『徳川将軍珈琲』が生まれた。

徳川さんは、2004年 徳川開幕400年に向けて販売開始した『将軍珈琲』から2014年の60歳を超えたので定年退職された約10年間おいしい
『将軍珈琲』を100%焙煎担当なさった。
徳川さんは職人気質なコーヒーマンで、私は、モノの価値観を徳川さんから頂いたと思う。
『征夷 大将軍 徳川慶喜 のひ孫 江戸時代に将軍が飲んだコーヒーを再現』を実現するため 徳川さんといっしょにはじめは何回もコーヒー豆を焙煎しました。
合言葉は「遠火の炭火」楽しかったなぁ。